強くなることの弊害

最近の悩みの共有です。

教員時代に比べ、苦労も困難も責任も桁違いに増えたわけなんですが、それを乗り越えるためには相当な行動が必要でした。

仲間だと思っていた人から裏切られたことなんて何度もあったし、よしこれからだと思ったタイミングで一方的に攻撃されたこともあります。

いついかなる時もピンチが襲ってくる状況の中で、子供たちとの時間を削らず、子育ての言い訳に仕事を使わない。

生徒たちへの教育の質は絶対に下げない。どんな困難な状況にあっても生徒たちの前ではいつも同じテンションで関わる。

そんな生活をしていると、当然強くなるわけなんですが、強くなることっていいことだけだと思ってたけどそうじゃないみたいです。

それが「行動できない・努力できない」人を「許す」というしんどさが新たに必要になったこと。

つまりやるしかねーだろと思ってしまう回数が増えてしまうわけです。

誰も責任をとってくれない代表という仕事をしていれば、結局は自分の責任を自分で取るしかないので、逃げも隠れもできない。

全てのことを受け止め、それでも前へ進む必要があります。

そうすると、単純に行動できないという気持ちが少しずつ理解できなくなってくるんです。

これって結構良くないというかしんどいです。

きっと自分もこれまでそんな時期があったはず。

でもその気持ちを忘れつつあります。

成長したといえばそうなんですが、世の大半の人がそうじゃないからこそ自分だけなんか感覚が違うという感覚になります。

でも強くないと代表なんてできないし、それと両立して子育てなんてできないとは思うんですが、なんかこうなんとも言えない気持ちになります。

強くなりすぎた結末は、まさか孤独なのかなと考えたりしたんです。

こういう悩みをいろんな経営者友達などに共有すると「そんなもんだよ」と返ってきます。笑

そんなもんなのかと思う反面、それでいいのかと思うところもあり、難しいなと感じてます。

強さと優しさはセットで凄まじい力を発揮するんですが、僕はいつまでも「優しさ」は忘れず生きていきたいなと最近強く思っています。

今までの過程を自分だけの努力たどり着いたと勘違いせず、人への感謝を忘れず、今日も一生懸命頑張ろうと思います!

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