命と向き合う。

現在、帰省中です。
なぜ帰省することになったかと言うと、自分のおじいちゃんがあまり長くないという話があったからです。

このことは書かずに綺麗な風景を載せようかなとも考えたんですが、あまり誤魔化したり隠したりすることが好きじゃない性格の僕は素直に1番大切にしたい写真を載せることにしました。

急に熊本へ帰れるような職業柄でもないので、おじいちゃんがまだ生きているうちに、自分の子供、つまりおじいちゃんにとってはひ孫たちを見せておきたいと考え、帰省することにしました。

あまり長くは帰れませんが、せっかく帰省するので、そこで得られるものを仕事に活かしたいと考えています。

おじいちゃんに会うのは約1年半ぶりのことでした。
その時は普通に歩いていて、少し話もできましたし、向こうも僕のことを認識していました。

しかし、今回は写真を見てもらった通り、かなり弱っていて、僕のことをよくわかっていないようでした。
ただ、何度か見たことがある程度の認識はあったようです。
話しかけたことに対しても、10回に1回くらいは反応してくれました。

病院の制約で15分ほどしか会えませんでしたが、その短い時間で感じたことがたくさんありました。

その中でも特に強く感じたのは、『人間はいつか必ず死ぬ』ということです。
これはすごく当たり前のことですが、おじいちゃんの姿を見て改めて痛烈に感じました。

僕のおじいちゃんはとても強い人でした。
僕がじいちゃんに言われた言葉に「強いものに強く、弱いものに優しく」という言葉がありますが、おじいちゃんはそれを徹底して守っていました。

おじいちゃんは一級建築士で、その資格を取るのは非常に大変だったと聞いています。
さらに定年後には漢字検定一級を取得しました。
これはテレビ番組で芸人が漢字検定一級を取ったのを見て、自分もできるだろうと挑戦したみたいです。

おじいちゃんは自分で言ったことを絶対に守る人で、九州男児らしい強さを持っていました。

そんなおじいちゃんが返事もできず、視点も合わず、自分のことを認識していない姿を見るのは、とても寂しく、悲しく、虚しく感じました。
否が応でも『命の終わり』について考えさせられたわけです。

おじいちゃんは僕にとってとても大きな存在で、ずっと生きていてほしいです。
でもそんなこと無理だってこともわかっています。

僕自身、今は筋トレや事業を起こしたりと色々挑戦していますが、死ぬ時には何もできなくなるという現実を常に頭に置いておくことで、毎日をより充実させようと考えています。

今、体が元気なうちに、いろんなことにチャレンジして、いろんなものを残したいと強く思いました。

これ読んでいる皆さんの中にも、『命の終わり』に直面した経験があるかどうかは分かりませんが、人間はただ呼吸しているような状況になる前に、自分の命を使い切って、どんな状況になっても人生楽しかったなと言って終えられるような人生にしたいと思っています。

皆さんも何かのきっかけにしていただければと思います。
それではまた!

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