公文での教科選択に迷わなかった理由とその先に見えた教育の本質
私の娘がまだ2歳だった頃、公文に通わせることを決めました。その際、教科選択については全く迷うことがありませんでした。
『国語、算数、英語のすべてを選択』
その理由は単純です。「娘がどのタイミングで『これやってみたい!』と言い出すかは誰にも分からない」から。
親としてできるのは、その「きっかけ」をできるだけ多く用意してあげることだけだからです。
公文での最初の1か月は「遊び」だけだった
公文に通い始めたばかりの頃、娘は教材に興味を示さず、毎回教室でおもちゃで遊ぶだけの日々が1か月ほど続きました。その間、先生からは「先に進めなくて申し訳ないです」と謝罪されることもありました。しかし、僕は全く気にしていませんでした。むしろ、この時間が娘にとって重要なプロセスだと考えていたからです。
僕は教育において「見守ること」の大切さを知っています。親が焦って子どもに「ちゃんとやりなさい」と促したり、結果を急いで求めるのは、かえって子どもの可能性を閉ざしてしまう。
遊び飽きた後に見えた成長の兆し
そんな時期が過ぎると、娘は突然ひとりで教材を進め始めました。そして、次第にひらがなやカタカナが書けるようになり、簡単な足し算までできるようになりました。この時、僕は改めて確信しました。
「教育はとにかく焦らないこと。」
親ができるのは、「きっかけを提供すること」だけ。学ぶペースや進み方は、子ども自身に任せることが大切だと実感しました。
公文を選んだ理由と「教育の本質」
そもそも、なぜ公文に通わせることを選んだのかというと、その理由は「場所見知り・人見知りを改善するため」でした。正直なところ、公文である必要は必ずしもなく、水泳教室やピアノ教室でも良かったと思っています。ただ、最終的に公文を選んだ理由はただ一つ。
『指導者の人柄』です。
教育の本質は「人」にあります。
娘を安心して預けられるかどうか。その判断は、指導者と直接話して、指導の様子を10分ほど見れば分かるものです。私はその観点で指導者を信頼できる公文を選びました。
親が担うべき役割
今回の経験を通じて改めて感じたのは、親として重要なのは次の二つだけだということです。
1. 子どもにたくさんの「きっかけ」を提供すること。
2. 子どもの成長を焦らず「見守る」こと。
教育において「結果」を重視しがちな社会ですが、その結果を得るための道のりこそが、子どもの未来にとって何より大切です。
まとめ
娘の公文での経験を振り返りながら、私自身も多くのことを学びました。教育は、ただ教材を与えたり、スキルを習得させるだけではありません。「子どもの成長を信じ、焦らず待つ」こと。それが親にできる最高のサポートだと思います。
この記事を読んでいる親御さんも、子どもたちの学びを焦らず見守ってあげてください。そして、指導者を選ぶ際には、教材やカリキュラムだけではなく、その人柄に注目してみてください。それが、子どもの未来を支える「本質的な教育」につながるはずです。