今回はかなり抽象的な話です。
いろんな人にお会いする機会が増えてきているんですが、そのジャンルは多岐にわたります。
ただ共通することは「結果を出している」ということ。
結果を出すためには、相当な努力が必要で、その上たくさんの困難に直面し、それを乗り越えている。
そういう経験をしていると得るものはたくさんあるわけですが、たまに「あ、そういうことか」と思うことがあります。
教育法についての本質は「待つこと」であり、教育全体の本質はやはり「人」であるだろうと思うわけです。
じゃあこの言葉を教育のプロじゃない人に言ったところで、全然解像度の違う意味になって伝わります。
もちろん僕が別のジャンルのプロからその本質を聞いてもほとんど理解できてないんだと思います。
僕はNii Schoolを作った時、本質的な教育をしたいと考え、人生に通じる教育をしたいと思うわけなんですが、残念なことにそれを伝えようと思えば思うほど、他のことに力を入れないといけないんです。
受験なんて人生においては通過点であって、本来は大した意味は持たないんですが、それでもその人生における何か本質的なものを伝えようと思えば、数学を教え、受験指導をし、進学実績を作って信頼してもらう必要がある。
でもこれってどの業界でも一緒なのかな、と最近では思っています。
その本質が結構伝わってるなと思うのが今の1期生(高3)です。
こういう生徒たちには噛み砕く必要がなくなるんです。
本質的な言葉を投げかければある程度伝わります。
結果として、今の1期生は社会のどこに出しても恥ずかしくない人材になったと自負しています。
そしてその人材は間違いなく学力という舞台でなくても通用するはずです。
なんならうちの会社に就職してほしいとすら思います。
このジレンマを現実として受け止め、そのような塾を作っていくかが僕の今の課題です。
僕は本質的な「何か」を伝えるために今日も授業準備をし、大学受験と高校受験のNii Schoolに通ってくれた生徒たちの学力をあげていこうと思います。