手を差し伸べることが最善とは限らない

こんにちは。Nii School代表の武末です。

今日は、最近僕自身が強く感じていることについて書きたいと思います。
それは『手を差し伸べることが最善とは限らない』ということです。

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ありがたいことに、入塾希望が増えています
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最近Nii Schoolには本当に多くの問い合わせをいただくようになってきました。
その分だけ、実際に入塾する生徒の幅も広がってきています。

やる気がある子もいれば、まだ頑張るきっかけを掴めていない子もいる。
元気な子もいれば、人と話すのが得意じゃない子もいる。
まさに“多様な生徒たち”が僕たちの教室に来てくれるようになりました。

もちろん、僕たちはどんな生徒に対しても「なりたい自分になれるきっかけ」を届けたい。
でもだからこそ、僕にはある問いがずっと頭の中をめぐっています。

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今“助けること”が、その子のためになるのか?
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例えば、ある生徒が数学の問題で困っているとします。
そのとき、僕たちが手を差し伸べて「ここはこうだよ」と教えることは簡単です。
実際にそうして成績を上げることもできます。

でも、そこでふと考えるわけです。

「これって本当にその子のためになってる?」

「もしかして“助けてもらえる”ことに慣れさせてしまってるんじゃないか?」

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“助けること”と“依存を育てること”の境界線
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教育の現場では、助けることが美徳とされがちです。
でも、助けすぎると「自分で考える力」や「自分で動く習慣」が育ちにくくなってしまう。

特に、元々受け身な生徒や自信がない子に対しては、こちらが全部サポートしてしまうと、逆に“動かないこと”が当たり前になってしまう。

そしてそれが習慣化すると、高校・大学・社会人と年齢を重ねたとき、自分から行動できない大人になってしまう危険性もある。

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“教育”と“優しさ”は、必ずしもイコールではない
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時に、厳しさや突き放しも必要になる。
そう思う場面が、僕には少しずつ増えてきました。

もちろん、まだ不安が強くて勇気を出せない生徒に対しては、最初はしっかりと手を取り、導いていくことが必要です。
でも、どこかのタイミングで“自分で立てるようにする”こと。
ここが本当の意味での教育なんだと思います。

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僕たちは塾。けど、塾の枠を超えたい
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「塾なんだから、勉強さえ教えてくれればいい」
そういう考え方も、もちろん理解できます。
でも、僕がNii Schoolを作った理由はそれだけではありません。

勉強を教えるだけじゃなくて、その先の人生にとって本当に必要な“自走する力”を育てること。
これが僕たちのやりたい教育です。

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だから僕たちは、あえて“手を引く”ことも選びます
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優しさを“与えること”と捉えるなら、本当の優しさは“引くこと”でもあるかもしれない。

『見守る』という強さ。
『信じて任せる』という愛情。
『踏み出すまで待つ』という覚悟。

僕たちは、そんな優しさを持った塾でありたいと思っています。

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