このテーマは前に数学の授業で話しました。
そのきっかけとなった出来事が今日も電車に乗ってて起きたんですよね。
高校生がこんなことを言っていました。
「早く部活決めて入らないと青春できない〜」
言いたいことはわかります。
青春ドラマや映画などでは、部活動が青春の象徴のように扱われます。
恋愛もそうですね。友達と遊びに出かけるのもそうかもしれません。
でも、僕はこれに対して少し思うことがあるんです。
この理屈からいくと、例えば、体に障害があって部活に入れない高校生に青春はないのか?
体と心の性が一致していないことが理由で、なかなか付き合うことができない高校生に青春はないのか?
決してそんなことはないと思うんです。
では、僕が思うになぜこのように高校生活の部活などが青春の象徴として語られるのかというといえば、その本質は「過去に一生懸命生きた時間を今の自分が青春と形容するから」だと思います。
僕は「青春とは、一生懸命に生きた時間」と認識しています。
メディアなどでは、その一生懸命生きた時間の象徴として“客観的にわかりやすいもの”が部活動だっただけだと思うんですよね。なので、部活に入らなくても、恋愛しなくても、別の何かに一生懸命になればそれは正真正銘、青春なんです。
もちろん、受験生も青春中の青春です。
自分が起きてから寝るまで、勉強に打ち込む時間は素晴らしい青春だと僕は思います。
そして、僕の認識における青春は、年代は関係ありません。
つまり、学生のうちしかできないものが青春なわけないということです。
例えば、学生の時に、病気で生きることに必死だった人は、確かにそれを青春だと認識することは難しいかもしれない。
じゃあ、その人が元気になって大人になった時、もう青春できなかと言われれば絶対に違いますよね。
そこから一生懸命生きて何かに打ち込めば、きっとその時間は青春になると思うんです。
僕は毎日、Nii Schoolに通ってくれている生徒のことを考え、試行錯誤していますが、これも青春だと思っています。
とにかく一生懸命、信頼してくれている生徒たちに何ができるのかを考える。
そして、そこから少しずつ行動に移していく。
大変ですけど、これも一生懸命生きている証だと思っています。
これから、高校2年生は夏から受験勉強が始まり、高校3年生はいよいよ本格的に受験本番に差し掛かっていきます。
そんな毎日に嫌気がしたり、苦しくなったりすることも増えるでしょう。
でも、そんな毎日を一生懸命生きることは、大学生になった後、「青春だったな」と感じることができると思うんです。
これから生徒のみんなが生きていく中で、苦しくても辛くても楽しくても嬉しくても、一生懸命生きてその時間を大切にしていればそれは青春であるだろうし、だからこそ毎日を青春してほしいなと思っています。
そして僕も毎日が青春であるように生きたいなと思いました。
青春とは、一生懸命に生きた時間である。